豊かな自然と地域づくりの里 |
![]() 〒646-0001 和歌山県田辺市上秋津地区 上秋津地区はほぼ半分にわたって自然がのこされ、開墾地が約30%。緑が全体の8割近くを占めます。春には桜、夏には新緑、秋は紅葉、冬は梅。四季四季に草木が景色に彩りをそえ、日々の暮らしを和ませてくれます。また名勝旧跡が点在し、神の悪戯ともおぼしき巨岩、怪石の群は吉野熊野国立公園に指定されています「奇絶峡」あるいは「高尾山」「竜神山」「三星山」をはじめ数々の山々と一年を通し、ウォーキングやハイキング、史跡探訪にと市民にしたしまれています。 たくさんの自然が残された上秋津では、一年を通していろいろなイベントが催されています。田辺市民なら子供の頃一度は登る高尾山では、高尾山登山などのイベントも行われています。 ![]() こういった地域の豊かな自然や農業を活かした地域づくりが住民の手で進められています。その一環として平成11年には秋津野直売所『きてら』、平成20年には都市と農村の交流施設秋津野ガルテンを誕生させました。 |
かつては秋津野の里と呼ばれていました |
![]() また高尾山の西には会津川をへだて竜神山や三星山がひときわ緑濃い自然のたたずまいを見せています。 上秋津は数々のいわれと伝説に彩られ、いまなお人と自然がともに暮らす里です。 平安朝時代、このあたり一帯は藤原氏の荘園として治められていましたが、このころ、高尾山中腹には千光寺が、建立されていました。千光寺はのちに焼け落ちたといわれていますが、本堂跡には歴史的にも貴重な3つの経塚が発掘されています。銅鏡や経筒などの出土品は東京国立博物館や田辺市の歴史民族資料館に保管、展示されています。 ![]() 戦前までは上秋津周辺を「秋津野」と呼んでいました。しかし現在は「秋津野」という地名はありませんが、秋津野橋という名の橋が存在しています。時代と共に人々には忘れ去られていました。 上秋津中学校の新築を機に、当時のPTAが広報誌名に秋津野の名を復活させ。平成6年には、地域にある24団体で組織した地域づくり協議団体『秋津野塾』が誕生してからは、人々は再び秋津野の名称を再び使いはじめました。 平成20年に地域住民が上秋津小学校跡地で起ち上げた、都市と農村の交流施設の名を『秋津野ガルテン』として、その名を残しました。 |
万葉の歌人、柿本人麻呂と秋津野 |
万葉の歌人、柿本人麿呂が、「常知らぬ人国山の秋津野の杜若を夢に見しかも」と詠った風情ゆたかな上秋津はいまもその面影をいたるところにとどめています。
現在「秋津野」という地名はありませんが、秋津野橋という名の橋が存在しています。 広辞苑には、「あきず(あきつ)とはトンボの古名、秋津島とは日本国の異称。 1.古代奈良の吉野離宮周辺の野。 2.和歌山県田辺市の北の野。 と記されています 万葉の歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が、秋津野を詠んだふたつの歌を紹介します ![]() ![]() |